BCLブームとその後の短波ラジオ

(1972-)


CONTENTS

BCLブーム以前の短波聴取

BCLブームとBCLラジオの流行 (1973-1980)

BCLブームとマスコミの動き (1973-1980)

BCLブームの終焉

  SONY ICF-5500型 "スカイセンサー5500" 3バンドBCLラジオ  ソニー(株) 1972年 16,800円

  ナショナル・パナソニック RF-888 "クーガー" 3バンドラジオ 松下電器産業(株) 1973年 18,900円

  SONY ICF-5800型 "スカイセンサー5800" 5バンドBCLラジオ ソニー(株) 1973-77年 20,800円

  ナショナル・パナソニック RF-1150 "クーガー115" 5バンドBCLラジオ 松下電器産業(株) 1975年 26,900円

  ナショナル・パナソニック RF-1010 "クーガー101" 8バンドBCLラジオ 松下電器産業(株) 1976年 21,000円

BCLブーム以後の短波ラジオ(1980-)

  SONY ICF-2001型 "Voice of Japan" PLLシンセサイザ方式2バンドラジオ ソニー(株) 1980年 49,800円

  ナショナル RF-B50型 10バンドラジオ 松下電器産業(株) 1983-84年 24,800円

短波放送の衰退(1990-)

参考文献

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BCLブーム以前の短波聴取 (1946-70)

海外の短波放送を聞くことは、短波が解禁された終戦直後から、ラジオファンの趣味として、また、外国語の習得や海外情報の入手などのためなどに一部で行われていた。ラジオファンにとっての短波放送聴取は、SWLと呼ばれ、アマチュア無線開局前のステップと位置づけられていた。短波放送やアマチュア無線局を受信し、受信報告書を送ると、放送局の場合Verification Card(べりカード)、アマチュア無線局の場合、QSLカードが送られてくる。多くの局を受信し、証としてのカードを多く集めることはSWLまたはDXerの技術力と努力の証明でもあった。また、受信報告書は放送局の電波伝搬、受信状況のデータとなるため、放送局にとっても有用であった。このため、中波ラジオ局やテレビ局もべりカードを発行している。

市販のオールウェーブラジオは高価だったため、SWL愛好家の多くは受信機を自作した。1960年代に入ると、本格的な通信型受信機のキットも販売されるようになって技術的な障壁は低くなった。また、日本短波放送の開局によって大半の家庭用ラジオに短波バンドが付くようになり、ラジオファン以外の聴取者にとっても短波放送聴取は容易になった。 この時代についてくわしくはこちら

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BCLブームとBCLラジオの流行

1970年代前半に一時的なBCL(Broadcasting Listening) ブームがあって短波ラジオが流行した。主役は小学校高学年から中高校生で、主に「べりカード集め」を目的としたものであった。当時一般家庭に普及していた5球スーパーやトランジスタラジオの大半に短波のバンドが付いていたので、誰でも簡単に短波放送に親しむことができた。アマチュア無線を目指す一部の本格的なSWL愛好家は通信型受信機を求めたが、それほどでもない一般の青少年で、家庭用の短波ラジオで飽き足らない層に向けて、メーカ各社から、BCL用の短波ラジオが発売された。これらの短波ラジオは「BCLラジオ」と呼ばれた。BCLラジオの代表的なモデルがソニーの「スカイセンサー」シリーズと、ナショナルの「クーガー」シリーズである。両シリーズとも当初は単なる大型の短波付3バンドラジオで、特別短波受信に特化した製品ではなかった。スカイセンサーはその後のBCLラジオのデザインの基礎を作ったもので、ブームが始まる前に最初のモデルが発売されていることから、これがBCLラジオのはじまりと考えられる。
ソニーと松下の後を追って当時やはりブームであったオーディオと同様に家電各社が続々とBCLラジオの生産、販売に参入した。三菱の「ジーガム」、東芝の「TRYX」、三洋の「パルサー」、日立「サージラム」などが主なブランドである。特別なブランドはないが、ビクターもBCLラジオを発売していた。

BCLラジオのほとんどは大型のポータブルラジオで、本格的な通信型受信機より安価といっても、1970年代前半に2万円台の価格は小中学生が気軽に購入できる(買ってもらえる)ものではなく、小中学生でBCLラジオを所有しているというのは、一部の富裕層に限られた。実際に多く購入していたのはもう少し上の世代の「大人」の男性で、彼らは、住宅事情や仕事の忙しさから本格的なアマチュア無線はできず、帰宅後の少ない自由時間(短波受信は夜間が有利である)に楽しむためにBCLラジオを購入したようである。
トリオのや八重洲などのアマチュア無線機メーカは、据え置き型でゼネカバの通信型受信機をBCL向けに販売していた(アマチュア無線用はトランシーバが主流となっていた)。国産品では八重洲のFRG-7や、多少古くなっていたがトリオの9R-59D、外国製品としてはドレークのSSR-1が有名だが、これらの本格的な通信型受信機は高価で少年を中心としたBCLファンには手の届かないものだった。

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BCLブームとマスコミの動き

ブームの仕掛け人やはじまりについては、より深く資料を調べることが必要であろう。しかし、ブームの前にスカイセンサーシリーズを発売したソニーと、アマチュア無線の受験講座を放送していた日本短波放送(NSB)の役割が大きかったであろうことは容易に想像できる。同社が放送した電機会社(ラジオのメーカ)がスポンサーとなったBCL番組は人気番組となった。1970年代後半がBCLブームの最盛期と考えられ、多くのメーカからBCLラジオが発売された。
BCLの情報は、アマチュア無線誌「CQ ham radio」や技術誌「無線と実験」などに古くから掲載されていたが、若年層向けの技術誌である「初歩のラジオ」「ラジオの製作」などが本格的に取り上げるようになり、1976年には専門誌「短波」が日本BCL連盟から発行された(1983年休刊)。

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BCLブームの終焉

BCLブームの終わりについて明確にすることは困難だが、1980年代初めには下火になっていたとみてよいだろう。ブームの中心が若年層だったために、容易に聞ける日本語放送を聞いて、ひととおりの「べりカード集め」に終われば飽きてしまったというのも下火になった一つの理由だろう。海外の日本語局の次は「遠くの中波」ということで国内の中波局のべりカードを集めるような動きもあったが、長続きしなかった。べりカードを集めるためだけに適当な内容の受信報告書が大量に届くということで放送局が迷惑していたということもあったようである。

JARLなど、アマチュア無線関係者や業界が、BCLブームに乗ってBCLに取り組んだ青少年たちを本格的なアマチュア無線に導こうとする動きも弱かったように思える。事実、アマチュア無線の歴史をまとめた文献(2)では、1970年代前半の記述にBCLブームに関するものは全くない。このあたりもBCLが「大人の趣味」につながっていかなかった理由の一つかもしれない。1970年代前半は、アマチュア無線人口も急増した時期で、松下電器や新日本電気といった家電メーカがアマチュア無線機器に進出した時代でもあったが、短期間で撤退した。BCLラジオもそうだが、大量生産を前提とした大手メーカの体制と、趣味人口とはやはり合わなかったのだろう。

もう一つの理由としては、機材が年々高性能化するにしたがって高価になり、青少年にはとても手が出ないものになっていったというのも衰退した理由の一つだろう。BCLに興味を持った少年たちがアルバイトで稼いだ自分のお金を使えるようになるまでは少し時間が必要であったが、それまでブームは持たなかった。1980年代以降、少年たちの間のブームは終息し、BCLラジオはスカイセンサー、クーガーのそれぞれ上級シリーズとなるワールドゾーン、プロシードといった高級機種のみが残っていく。これらは高価な、かなり本格的な受信機であった。宣伝の内容を見ても少年向けではなく、大人の雰囲気を前面に出した広告展開が行われている。

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SONY ICF-5500型 "スカイセンサー5500" 3バンドラジオ ソニー(株) 1972年 16,800円
 1IC+1FET+9Trs, DC4.5V (UM-2 X3), BC: 530-1605kHz, SW: 3.9-12MHz, FM: 76-90MHz

1972年に発売された「スカイセンサー」シリーズの最初のモデル。後の「BCLラジオ」の定番となるスタイルを確立した製品だが、この製品自体は中波とFMの他に3.9-12MHzの通常の短波帯を備える、ごく普通の3バンドラジオであった。ソニーの11(イレブン)シリーズやナショナルのワールドボーイなど、主に若者向けに発売されていた3バンドラジオは、ワイヤレスマイクやチューニングメータなど、あまり使わないと思われるようなギミック満載の製品が多かった。スカイセンサー5500は、イレブンシリーズの発展形と考えられ、機能的には従来の3バンドラジオ同様、ワイヤレスマイク、ラウドネス、タイマー、VU兼用チューニングメータなどギミック満載であるのは同様で、ラジオの性能自体に特筆すべき点はないが、デザインが従来存在しなかった縦長の形になったのが大きな特徴である。このスタイルが、BCLラジオの典型的なスタイルとなっていったのである。あまりに個性的なデザインに危惧を抱いたのか、ソニーは、従来の横型のデザインのスカイセンサー5400を追加している。

(所蔵No.12161)

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ナショナル・パナソニック RF-888 "クーガー" 3バンドラジオ 松下電器産業(株) 1973年 18,900円
 
1IC+1FET+9Trs, DC6V (SUM-2 X4), BC: 525-1605kHz, SW: 3.9-12MHz, FM: 76-90MHz

スカイセンサー5500の対抗馬として松下が発売した縦型の3バンドラジオ。デザインはスカイセンサーと大きく異なり、正面パネルは16cmダブルコーンの大型スピーカで占められていて、操作部はすべて天面にまとめられている。ラジオ部の感度にも注意は払われているが、基本的に大型スピーカを採用した音質、音量重視のラジオである。音声出力を稼ぐために電源はスカイセンサーより電池1本分高いDC6Vである。 黒しかなかったスカイセンサーに対してこちらは、青、赤のカラーバリエーションも用意されていた。

(所蔵No.12227)

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SONY ICF-5800型 "スカイセンサー5800"  5バンドBCLラジオ ソニー(株) 1973-77年 20,800円

 

ソニーは1972年にスカイセンサー5500を発売したが、このモデルの短波は3.9-12Mcの、ごく普通の3バンドラジオと同じであった。この5800では、短波のバンドを28MHzまで広げ、BFOを搭載するなど、本格的なSWLに対応した仕様となっている。通信型受信機並の機能となったICF-5800は、内容の割に安価だったこともあって大ヒットし、BCLブームの中でベストセラーとなり、ブームが終わる70年代後半まで継続販売された。

(所蔵No.12049)

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ナショナル・パナソニック RF-1150 "クーガー115" 5バンドBCLラジオ 松下電器産業(株) 1975年 26,900 円
AC100V / DC6V (SUM1-D X4),
BC: 525-1605kHz, SW1: 1.6-3.9MHz, SW2: 3.9-12MHz, SW3: 12-30MHz, FM: 76-90MHz

ソニーのスカイセンサーシリーズと人気を2分したのが松下のクーガーシリーズだった。クーガーは、スカイセンサーの1年後に発売されたRF-888型が最初のモデルだが、これは短波はついているものの大型の16pスピーカを強調したオーディオ寄りの製品だった。デザインのモチーフはギターアンプと思われる。このクーガー115は、BCLブームを受けて本格的な短波受信機にしたモデルである。
短波は標準的な3.9-12MHzのバンドのほかに、中短波帯と、30MHzまでの上のバンドを備えている。120分タイマーや音質調整、BFOなど機能満載だが、大型のバーアンテナを持ち上げて回転することができる「ジャイロ・アンテナ」が大きな特徴である。
アルミパネルにスピーカを強調した円形グリルを配するデザインは、同時代の多くのメーカのラジカセなどが採用している(この機種が最初かどうかは不明である)。

(所蔵No.12190)

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ナショナル・パナソニック RF-1010 "クーガー101" 8バンドBCLラジオ 松下電器産業(株) 1976年 21,000円
AC100V / DC6V (SUM1-D X4),
BC: 525-1605kHz, FM: 76-90MHz
SW1:3.9-5.1MHz, SW2: 5.95-7.3MHz, SW3:8.0-10.0MHz, SW4: 10.0-12.0MHz, SW5: 12.5-15.45MHz, SW6: 17.5-30MHz

クーガー115のヒット以降、クーガーシリーズはバリエーションを増やしていった。この機種は廉価版として用意された機種で、115に対して中短波帯(1.6-3.9MHz)が省略されている。バンドを細かく分けてバンド数を増やしているが、これは簡単な回路で受信性能を確保し、操作性やダイヤルの視認性を改善するためで、真空管時代から家庭用のオールウェーブ受信機に採用された「バンドスプレッド方式」である。もちろん、バンド数の多さと立派なダイヤルは実用性だけでなく、商品価値を高めるという効果もあっただろう。デザインが横型になり、小型化されたことで、本来のクーガーシリーズの特徴であった大型スピーカと円形グリルというデザインは廃された。

(所蔵No.12191)

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BCLブーム以後の短波受信機

スカイセンサー、クーガーともに1976年まで盛んにニューモデルが発表されたが、BCLブームはわずか2-3年で下火となった。スカイセンサー、クーガーの上位シリーズとして遅れて登場したワールドゾーン、プロシードの各シリーズは1980年代まで継続した。BCLラジオの高級モデルにはデジタルカウンターを備えるものもあったが、受信回路は純粋のアナログ式であるため、デジタルカウンターの精度を確保するためのインターフェースの設計及び調整は困難であったと思われる。

皮肉なことにBCLブームが去った1980年代に入るとPLL技術を使った電子同調方式が安価に実現できるようになり、短波ラジオはディジタル直読表示とプッシュボタン選局式の高機能な使いやすい機種が多くなった。

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SONY ICF-2001型 "Voice of Japan" PLLシンセサイザ方式2バンドラジオ ソニー(株) 1980年 49,800円
 
Batteries: Radio: DC4.5V (UM-1 X3), Computer: DC3V: (UM-4 X2), AM: 150-29999kHz, FM: 76-108MHz

民生機としてPLLシンセサイザ方式、マイコン制御によるダイレクト選局やメモリを可能にした初期のラジオ。FMは海外バンドと国内のテレビ1-3chをカバーし、AMは長波から短波帯の30MHzまでを1つのバンドとしてカバーする。2バンドということになるが、実態は本格的なオールウェーブラジオである。回路構成はダブルスーパーで第2中間周波数は10.7MHzである。選局は、テンキーによるダイレクト選局か、アップ/ダウンキーによる方法のみで、チューニングツマミはない。周波数は液晶表示器にディジタル表示される。アナログ受信機にディジタルカウンターをつけただけのBCLラジオとは異なり、本格的なディジタルチューニングである。

ポータブルセットではあるが、幅30p近く、重さも1.7kgと重量級である。押しボタンは立てた状態では使いにくく、背面の脚を立てて斜めに寝かした状態で操作できるようになっている。6局分の周波数をメモリできる。コンピュータ系とラジオ部それぞれ独立した電池が必要である。ACアダプタはラジオ部の4.5Vのみで、バックアップを兼ねるコンピュータ用の電源には別に電池が必要である。回路規模が大きく、消費電力が10W程度と大きい。ラジオ用の電池は発表当時9時間程度しか持たなかった。

最新の技術を投入した画期的なセットではあったが、信頼性が低く、故障が多い上、整備性も悪い。また、FM-AMを通じて6個のメモリではあまりに少なく、使いにくかった。1985年にメモリの数を増やすとともにパネルのデザインを大幅に改良したICF-2001Dにフルモデルチェンジされた。

最初はこのような高級ラジオから導入されたPLLシンセサイザ方式は、半導体技術の進歩により、小型ラジオやカーラジオなど、現代の多くのラジオが採用することになった。

(所蔵No.12202)

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ナショナル RF-B50型 10バンドラジオ 松下電器産業(株) 1983-84年 24,800円
DC6V (UM-3 X4 or ACアダプタ) BC:530-1600kHz, FM:76-108MHz,SW1-8:2.3-22MHz

BCLブーム終了後に登場した短波ラジオの例。アナログチューニングだが、IC化が進んだことで小型になり、使いやすくなっている。ダブルスーパー方式で選択度、感度を向上し、2.3-22MHzの短波帯を8つに細かく分けるバンドスプレッド方式を採用することで操作性を向上している。シルバーを基調とした直線的なデザインは80年代に流行したものである。趣味のBCLというよりは、NSBの受信や海外出張時の情報収集など、実用的な使い方を念頭に置いた製品である。

(所蔵No.12060)

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短波放送の衰退 (1990-)

 東西冷戦が終結した1990年代以降、政治宣伝目的の外国語短波放送はその多くが中止された。日本語放送もその例に漏れず、BBC(1990年)、ラジオ・オーストラリア(1990年)、ドイチェ・ヴェレ(1999年)、バチカン(2001年)など、馴染み深い局の多くが放送を中止している(カッコ内は終了した年)。現在では日本語放送は韓国、北朝鮮、中国、ロシアなど近隣諸国を中心に残っている。

 日本短波放送は最盛期の1978年に局名を「ラジオたんぱ」に変更した。しかし、2001年以降は、規模を大幅に縮小し、放送時間が減らされた。その後2003年10月には社名を「日経ラジオ社」に変更し、愛称を「ラジオNIKKEI」として日本経済新聞社および東京証券取引所を主要株主とする経済情報および競馬中継の専門局として現在に至る。ただし、ネット配信など、新しいメディアの活用が増えてきたことで、短波放送の比重は下がってきている。

現在では短波ラジオは本格的な通信型受信機を除けば、日本短波専用機および海外旅行用として一定の需要を満たしている。

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参考文献

1)BCL入門百科 大沢幸夫著 1980年 山海堂




















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