終戦直後の国産スーパー受信機
1946-48


CONTENTS

解説
スーパー受信機展示室 (更新)
参考文献

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解説

戦後、占領軍がきわめて早い時期に出した指令が短波受信機の解禁であった(1945年9月18日)。終戦からわずか1ヶ月、進駐軍向け放送AFRSが放送開始する1週間前であった。また占領政策の中で重要視されたラジオ放送の普及のために良質なラジオの供給が求められた。これに答えるべくラジオ業界では普及品としての国民型受信機の規格が検討されるとともに、1946年春頃には多くのスーパー受信機、オールウェーブ受信機(全波受信機といった)が発表された。

日本通信機械工業会(CEMA)は、国民型受信機だけでなく、高級受信機についても規格化を検討し、1946年5月に全波受信機の暫定規格案を発表した。全波受信機は全波1号、2号A、Bの3種類に分けられ、1号は高周波増幅のない6-18Mcの短波帯を有する5球程度のセットである。2号は高周波増幅を持ち、4-22Mcの短波帯を有する7-8球程度の高級型である。A、Bの違いは感度で、A型が高感度型である。詳細な回路や構造などは規定されず、性能のみが規定された規格であった。(1)この規格は1947年頃に改定され、感度階級をがA,B,Cの3つに分類し直され、従来のBはC、AはBに相当する。実際にはA級に相当するセットは家庭用受信機としてはほとんど作られなかった。呼称は、型式と感度階級を組み合わせて1号C級のように呼んだ。(4)

1947年9月16日、スーパー受信機の普及を目指して日本通信機械工業会(CEMA)では、国民型受信機規格の上位規格として、超ヘテロダイン級国民型受信機規格を決定し、発表した。これにより標準型中波5球スーパーの技術基準が確立した(2)。ただし、国民型受信機のように専用の型式名は決められず、認定の対象とならなかった。この規格が作られたことにより、従来の再生式の国民型受信機は「普通級国民型受信機」と呼ばれることになった。1947年11月13日に日本通信機械工業会は解散し、このスーパー受信機の規格は、広く普及することはなかったと思われる。

多くの高級受信機が発表されたが、実際には高価すぎてすぐに普及することはなかった。国民型受信機が各社から発表される中で1948年になると中波のみの比較的安価なスーパーラジオが発表されるようになる。ラジオ業界では最大手の松下が財閥指定により活動に制限を受ける中、既存のメーカーだけでなく、多くの中小メーカーが乱立した。また、軍需生産を止められた電機、通信機などの大企業、自動車、精密機器などの異業種からも生き残りをかけて参入してきた。

メーカー品の高級受信機や電蓄は高額な物品税のため高価であった。このため、アマチュアが放出された軍用の部品や手製の部品を組み合わせてラジオを組み立て、また、老朽化したセットを再生した。多くは自家用か、小遣い稼ぎ程度であったが、一部の技術と商才に恵まれたものは会社を設立し、現在、大メーカー、量販店に成長したものも多い。

この時代のスーパー受信機は部品が不足し、標準的な回路が確立していない中、きわめてユニークな回路構成、構造の受信機が多く見られ、興味深い。主なものとして国民型受信機用に量産されていた6C6と6D6を多用したものや、放出品として出回っていた6F7、6L7Gなどを使用したものなどが挙げられる。

1948年には、新型真空管6WC5および6ZDH3Aが開発され、6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80 ( または6Z-P1-12F)という、5球スーパーの標準的なラインナップが確立し、ユニークな構成は少なくなる。また、パーマネント・ダイナミック・スピーカが量産されるようになり、出力部と電源を6ZP1-12Fとした普及型のスーパーが登場する。これらのセットは、先述のスーパー級国民型受信規格に沿った形で設計された(3)

参考

<物価の目安> 
1946年(昭和21年)頃
小学校教員の初任給400円、鉛筆1本50銭、電球(60W)1個7.65円 (統制価格)、もりそばは統制により休業

1948年(昭和23年)頃
小学校教員の初任給2,000円、鉛筆1本5円、電球(60W)1個21.25円 (統制価格)、もりそばは統制により休業

この時代は悪性インフレにより急激に物価が上昇している。

対ドルレート(1945年9月)    1ドル= 15円(戦後再開直後のレート)
対ドルレート(1947年3月)    1ドル= 50円(軍用交換相場)
対ドルレート(1948年7月)    1ドル=270円(軍用交換相場)

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スーパー受信機展示室


全波受信機

O.K.I. 46-A-1型 2バンド6球スーパー 1947年 沖電気(株)

テレビアン(Televian) 210号全波受信機 2バンド5球スーパー 1947年頃 山中電機(株)

TEN DR-207型 2バンド7球スーパー 1947年 (株)川西機械製作所

コンサートン(Concertone) CS-5型 5球2バンドスーパー 1947年頃 戸根無線(株)

トーツー TR-41型 3バンド5球スーパー 1946年 東洋通信機(株) (NEW)

トーツー TR-43型  2バンド6球スーパー 1947年 東洋通信機(株)

トーツー RS-61型 2バンド6球スーパー 1948年 東洋通信機(株)

NEC RG-101A型 4バンド9球全波受信機付電蓄 1948年 日本電気(株) (電蓄展示室へのリンク)

NEC RA-100B型 2バンド6球スーパー 1947年 日本電気(株)

ナショナル(National) 8A-1型 3バンド8球全波受信機 1946-48年 松下電器産業(株)無線製造所 4,500円 (1947.3)

サイン(SINE)全波受信機 3バンド5球スーパー 1946-47年 国際電気通信(株)

ローヤル(Royal) DAT-62型 2バンド6球スーパー 1946年 原崎無線工業(株)

JRC R-102型 2バンド5球スーパー 1946年 日本無線(株)

JRC NMR-124型 2バンド5球スーパー 1946年 日本無線(株)

東芝(Toshiba) ZS-1004A
 3バンド7球スーパー 1946-47年 東京芝浦電気(株)

東芝(Toshiba) ZS-1004C 3バンド7球スーパー 1947-48年 東京芝浦電気(株)

ビクター(Victor) 5AW-1型「黎明」 5バンド5球スーパー 1946年 日本ビクター(株)

製作者不明 2バンド5球スーパー 1947年頃

PHILIPS 31?7X型 3バンド6球スーパー 1948年 メーカー不明

TRC全波受信機 2バンド6球スーパー 1948年頃 メーカー不明 

中波5球スーパー受信機(セレン使用の5球相当の4球を含む)

ダイヤトーン 47-D型 (初期型) 1947年 三菱電機(株)

ノーブルラヂオ203型 1946年 帝国通信工業(株)

TEN DR-105型 1946年 (株)川西機械製作所

ナナオラ(Nanaola) NH-5062型 1947年 七欧無線電気(株)

ナナオラ(Nanaola) 国民型スーパー 1948年 七欧無線電気(株)

テレビアン(Televian) R-50型 5球スーパー 1947年頃 山中電機(株)

JRC R-101型5球スーパー 1946年 日本無線(株)

MEC MODEL 1001 5球スーパー 1948年頃 美国電機(株)

フタバ(FUTABA) FKS型 スーパー級国民型受信機 1948年6月 双葉電機(株) 6197.66円

ビクター(Victor) 5RS-1型 5球スーパー 1947年 日本ビクター(株) 

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全波受信機


O.K.I. 46-A-1型 2バンド6球スーパー 1947年 沖電気(株) 

  

 TUBES: UZ-6D6 Ut-6A7 UZ-6D6 Ut-6F7 UZ-42 KX-80, Electro-dynamic Speaker,BC: 550-1500kc, SW: 6-16Mc

沖電気福島工場で製造された6球2バンドスーパー。沖電気が、戦後最初に作ったラジオの一つである。初期のスーパーらしく、軍放出品の6F7が使われている。巨大な3連バリコンや軍用無線機用と同型のIFTなど、通信機メーカーらしい造りである。また、シャーシの奥行きが深く、戦後の一般的なラジオより大きい。このあたりは戦前の技術の名残がみられるところである。沖電気は大正時代、放送開始初期にラジオを生産したが、撤退してしまう。戦後、2回目の挑戦となったラジオ生産は、軍需を失い、電話用機材の生産だけでは従業員を養いきれない事情から始めたものだが、民生品の販路や販売ノウハウを持たないことから商品としては成功しなかった(5)。

本気のつまみはオリジナルでない。また、サランネットの劣化が激しい。

掲載誌:ラジオ技術1947年10/11月合併号(広告)

(所蔵No.11992)

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テレビアン210号全波受信機  2バンド5球スーパー 1947年頃 山中電機(株)

  

 

TUBES: 6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80 (after modified), Electro-dynamic Speaker,

戦前からの大手メーカ、山中電機が終戦直後に発売した全波受信機。放出物資のアルミがシャーシに使われている。残念ながら後に6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80の中波スーパーに改造されたため、元の回路構成は不明である。オリジナルも5球スーパーで42-80の部分に変更は無いと思われる。IFT、コイル、電源トランスは交換されている。背面のピックアップ端子はオリジナルではないと思われる。デザインは当時流行したアメリカの1940年代風のものである。銘板の「1号C級スーパーヘテロダイン」は、日本通信機械工業会が定めた全波受信機の規格である。C級は、高周波増幅のないセットの感度階級を示す。

本機は、裏蓋およびスピーカの桟が2本失われている。ツマミはオリジナルでない。

(所蔵No.11797)

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TEN DR-207型 2バンド7球スーパー 1947年 (株)川西機械製作所

  

TUBES: 6C6-6C6-6D6-6D6-75/6ZDH3-42-80 , Electro-dynamic Speaker (6.5")

軍需産業から参入した川西機械製作所の2バンド7球スーパー。キャビネットには大理石風の特殊な塗装を施している。6C6局部発振、6C6のスクリーングリッド注入のコンバータ、6D6の中間周波2段という変わった構成である。容易に入手できる真空管で構成したためこのような回路になったと思われる。シャーシは2mm厚のアルミ製で、内部には昭和19年と20年の日付のある部品が多数使われている。同社は手持ちの軍需物資がかなりあったらしく、軍用無線機の流用と思われる部品を数多く使用している。シャーシにはケガキ線が引かれている。試作品かもしれない。

同社は1949年に財閥解体により解散し、神戸工業(株)が設立された。1968年に富士通(株)と合併し、現在は富士通テン(株)としてカーオーディオを生産している。

本機は6C6-6C6が6WC5に、75が6ZDH3Aに改造されているが、オリジナルがかなり良く残っている。

(所蔵No.11707)

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コンサートン(Concertone) CS-5型 5球2バンドスーパー 1947年頃 戸根無線(株)

  

TUBES: 6A7-6D6-6ZDH3-42-80 , 6.5" Electro-dynamic Speaker(Orion D-65, 利根源製作所), BC:550-1500kc, SW: 5.7-18Mc

戦前からの歴史ある中堅メーカ、戸根無線の全波受信機。ダイヤルが上にあるデザインはこの時代の流行である。アメリカのデザインを模したものが多い中、このセットはヨーロッパ風である。ねじ込み式のシールドケースなど、軍用部品が流用されている。ダイヤルには"CONCERTONE"の文字, キャビ正面には"Tone"のマークが表示されている。黒っぽい色のセットも確認されている。

本機はツマミが失われている。

(所蔵No.11701/11701-2)

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トーツー TR-41型 3バンド5球スーパー 1946年 東洋通信機(株)

  

 

古い歴史を持つ通信機メーカーである東洋通信機が戦後民生市場に参入して製造した全波受信機の最初のモデル。6-18Mcの標準的な短波帯を持つが、この機種では通常1つのバンドでカバーするところを6-12Mc と10-18Mc のオーバーラップした2つに分けている。当時の質の悪い部品を使って高周波増幅のない5球で構成するためだったと思われる。

ねじ込み式のシールドケースや組み立て式ケースを使った大型IFTなど、通信機用の高級部品がふんだんに使われている。キャビネットのデザインは戦時中風の貧弱なものだが、中身は手持ちの通信機用の資材を使って頑丈に作られている。

本機のツマミはオリジナルではない。

(所蔵No.11A116)

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トーツー TR-43型 6球2バンドスーパー  1947年 東洋通信機(株) 

  

 

TUBES: Ut-6L7G-76-6D6-6B7-42-80, Electro-dynamic Speaker (Toyo, 8")

上に紹介したTR-41型の後継機種である。42型があったかどうかは不明である。Ut-6L7G-76-6D6-6B7-42-80 という、終戦直後の全波受信機特有の配列になり、短波のバンドは標準的な6-18Mcの2バンドとなった。電源事情の悪化に対応して、左端のツマミが電源スイッチと共に100-85-75Vの電圧切替スイッチとなっている。大型のキャビネットは、厚さ1cm程度の薄く、幅の狭い板を剥ぎ合わせて作られている。簡素なデザインと共に、物のない時代の雰囲気が出ている。シャーシやバリコンは粗末だが、ソケットやスイッチ、コネクタなどには通信機用の高級な部品が使われている。

同社はその後ラジオからは撤退し、水晶振動子などの電子部品、機器を製造していたが2005年、セイコーエプソン(株)水晶事業部と経営統合し、エプソントヨコム(株)として存続している。

本機は、6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80の、一般的な5球スーパーに改造されている。スピーカはオリジナルと思えないものが付いていたので取り外した。上の列両側のツマミは音質調整とピックアップ切替と思われる。後から追加されたもののようである。また、上列左のツマミの横にある穴は、電源警告用ネオンランプののぞき穴である。電圧低下時に低いタップに切り替えておき、電圧が上昇するとネオンランプが点灯してタップを戻すことを促す。これも後から追加されたもののようである。

(所蔵No.11874)

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トーツー RS-61型 6球2バンドスーパー 1948年 東洋通信機(株)

  

 

TUBES: Ut-6L7G-76-6D6-6B7-42-80, Electro-dynamic Speaker (Toyo, 8")

古い歴史を持つ通信機メーカーである東洋通信機が戦後民生市場に参入して製造した全波受信機。上のTR-43型の後継機である。キャビネットとダイヤルは大型化されているが、シャーシはほぼ共通である。Ut-6L7G-76-6D6-6B7-42-80 という、終戦直後の全波受信機特有の配列で、自社製8インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。短波のバンドは標準的な6-18Mcである。当時は真空管の質が低く、ばらつきがひどかったために、6D6のg-p間に「ニュートロドン」となる60pFのトリマーを設けてあり、キャビネット底板の穴から調整できるようになっていた。

また、電源事情の悪化に対応して、左端のツマミが電源スイッチと共に100-85-75Vの電圧切替スイッチとなっている。大型のキャビネットは、厚さ1cm程度の薄く、幅の狭い板を剥ぎ合わせて作られている。簡素なデザインと共に、物のない時代の雰囲気が出ている。同社はその後ラジオからは撤退し、水晶振動子などの電子部品、機器を製造していたが2005年、セイコーエプソン(株)水晶事業部と経営統合し、エプソントヨコム(株)として存続している。

本機は、コイル、IFTが後のスター製品に交換され、6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80の、一般的な5球スーパーに改造されている。現在付いている三菱電機のダイヤトーンD-62型パーマネント・ダイナミックもこの改造のときに交換されたと思われる。ツマミもオリジナルではないと思われる。

掲載誌:電波科学1948.3

(所蔵No.11689)

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ナショナル8A-1型、全波受信機 1946-48年 松下電器産業(株)無線製造所 4,500円 (1947.3)

   

  

  広告 無線と実験1946.11/12合併号裏表紙

TUBES: 6D6-6C6-76-6D6-76-6C6-42-80, Electro-dynamic Speaker (National Model D-65, 6.5")

1946年8月、松下電器が戦後初めて発売した全波受信機。8球3バンドスーパーだが、Ut-6L7Gなどのスーパー専用の真空管を使わず、当時比較的入手しやすかった国民型受信機と共通の真空管だけで構成されているところに特徴がある。6D6で高周波増幅、6C6混合、76発振、6D6中間周波というのは当時良く見られるが、76の2極管接続で検波、6C6-42の2球で低周波増幅というのはかなり変わった回路である。中間周波数は当時463kcが標準であったが、1951年にこの周波数は漁業無線との妨害を避けるため国際標準の455kcに変更された。この8A-1型では後の標準となる455kcをこの時点で採用しているのが興味深い。

無線と実験に掲載された本機の試作品は戦前の6S-10型のキャビネットを流用したものであった。シャーシの固定方法、キャビネットの構造などに、同社の戦前のスーパー受信機の影響が見られる。アメリカ式のダイヤルがセット上部に斜め上を向いて配置されているキャビネットが流行する中でこのデザインは日本の住宅事情にマッチしている独特なものといえる。 前面がネットに覆われ、ダイヤルが「額縁」状になったデザインは汎用のダイヤルを収めるのに適しており、このデザインが後の「5球スーパー」の標準的な形となる。 もののない時代に苦心して設計された5極管と3極管だけの全波受信機の回路には無理があったらしく、1948年には6WC5、6ZDH3Aを採用して回路を全面的に見直し、ヨーロッパ風のキャビネットに納められた8A-2型にモデルチェンジされた。 本機には兄弟機として、出力部をプッシュプルとした高級電蓄GR-802型がある。

 本機は、ダイヤル目盛板の材質が悪く、たくさん使われているパイロットランプの放熱不足から目盛板が焼けて崩壊してまう欠点がある。本機の場合も、ダイヤルに小さな焦げ跡が穴になったものがあるが、早めに気付いてランプを抜いたために致命的なトラブルにならず、奇跡的に目盛板が残っている。シャーシはほぼオリジナルの状態をとどめているが、76の2極管検波、6C6の低周波増幅を、6ZDH3Aの検波、増幅、76の低周波増幅に改造されている。

掲載誌:無線と実験 1946.3/4 (試作機)、ラジオ技術1947年4月創刊号(裏表紙広告)
参考文献:全波受信機工学講義録 日本電波協会 1948年

(所蔵No.11668)

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サイン(SINE)全波受信機 3バンド5球スーパー  1946-7年  国際電気通信株式会社

 
 (初期型:1946) ツマミはオリジナルでない(参考:個人蔵)            後期型の銘板

  
   後期型(1947)     (所蔵No.11568)           

  
   キャビネット違い(最後期型?)  (所蔵No.11796)

  (No.11796の回路図)

TUBES: 6A7-6D6-6B7-42-80, Electro-dynamic Speaker

戦前に国際電信電話業務を行う国策会社として設立された国際電気通信株式会社が、戦後すぐに生産した全波受信機。3バンド受信機で6A7のみでコンバータを実現した例は珍しい。初期型は電源スイッチとボリュームが独立しているためツマミが4個あるが、後期型ではスイッチ付ボリュームに改められた。1944年から1945年の日付がある通信用、軍用の部品が多く使用されている。シャーシはジュラルミン製と思われ、60年を経ても輝きを失っていない。また、少しキャビネットが大型化されたデザインの異なるモデル(11796)が確認されている。このモデルはIFTが円筒形から角型に変更され、6B7にシールドケースが追加されている。

同社は1948年に解散され、生産部門が国際電気株式会社(現日立国際電気)、通信部門が国際電信電話株式会社(現KDDI)となった。

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ローヤル(Royal) DAT-62型 2バンド6球スーパー 1946年 原崎無線工業(株)

   

TUBES: 6A7-76-6D6-6ZDH3-42-80, Electro-dynamic Speaker

 戦前からスーパー受信機を中心に高級受信機を生産してきた原崎無線工業が戦後すぐに発売した全波受信機。幅40cm、高さ50cmを超える巨大な縦型のキャビネットは1930年代後半のスーパー受信機に良く見られるが、戦後では珍しい。戦前の同社の技術を生かしたものと思われる。真空管は6A7-76-6D6-6ZDH3-42-80 で、6WC5が出る前の全波受信機としては標準的な構成である。上位機種として3バンドのDAT-71型があった。また、まったく同じキャビネット、回路構成でDAT-63型が確認されている。同社からは1948年に同じ回路構成のDAT-64型が発売されているが、その後は製品が見られない。

当時は真空管の入手が難しく、本機も6D6の代わりに戦時中の77を、76の代わりに国産のメタル管、US-6C5のベースを改造したものが使われている。

参考文献:全波受信機工学講義録 日本電波協会 1948年

(所蔵No.11577)

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JRC R-102型 5球2バンドスーパー 1946年 日本無線(株)

  

TUBES: N-361 - N-051 - N-231 - N-052 - N-021, Electro-dynamic Speaker (JRC Model D-50), BC:550-1650kc, SW-C: 6-18Mc

JRCが戦後まもなく発表したスーパー3種類のうち、中間のオールウェーブ。この上に7球3バンドのR-103があった。木製キャビネットに塗装を施してベークライト風にしている。このセットには、戦前から関係のあった独テレフンケン製の真空管を参考にして戦時中に生産されたキャトキン管(FM-2A05Aが有名)を戦後拡充して1946年に「Nシリーズ」として発売した真空管が使われている。ヨーロッパ風のバルブ形状にUSベースを組み合わせた独特のものである。このシリーズは後に標準型名12Gに改められた。ヒーターは12.6VでベースはUSだが、アメリカのGT管とピン配置に互換性がない。このシリーズは戦後国産GT管の標準が決まるまでの一時期市場に流れたが、アメリカ系の真空管が進駐軍の放出を通じて流れたこともあり、すぐに使われなくなった。

JRC自身、1948年にトランスレス用GT管を試作しているが、当初Nシリーズともアメリカ製とも異なるピン配置のものが発表されたが、すぐにアメリカ製と同じピン配置でスペックが微妙に異なるものが発表されるなど、混乱が見られる。Nシリーズも、中途半端なGT管も普及することはなく、JRCは1948年には通常のST管を使用したセット(NR-5A型)を発表している。

本機はくすんだ青色の塗装だが劣化が激しい。スピーカは外に引き出して使っていたらしく、失われている。真空管はアメリカ製のメタル/GT管とST管に改造され、6SA7-6SK7-6SQ7-12A6-80となっている。

(所蔵No.11177)

掲載誌:無線と実験 1946.3/4
参考文献:全波受信機工学講義録 日本電波協会 1948年

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JRC NMR-124型 漁業受信機 5球2バンドスーパー 1946年 日本無線(株)

  

  

TUBES: 6SA7 6SJ7-GT 6SJ7 6V6 5Z3 (改造後)、5"Electro-dynamic Speaker (JRC Model D-50), BC:550-1650kc, SW-B: 1.5-4.5Mc

JRCの2バンドオールウェーブスーパー、R-102を流用した漁船用受信機。どのような船に搭載するためのものかは不明である。短波帯が市販の家庭用のR-102の6-18Mcと異なり、1.5-4.5Mcになっていて、ダイヤルの表示はMEDIUM WAVE となっている。シャーシ、キャビネットは基本的にR-102と共通であるが、こちらのほうはなぜかキャビネット正面のスリットが1本多い。

本機は、トリオのコイル、IFT、山水のトランスを使って全面的に改造されている。元の構成はR-102と同じだったと思われる。本機のツマミはオリジナルではない。ダイヤルのバックの色が白いのは褪色のためで、本来は濃い緑色である。

(所蔵番号11892)

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東芝ZS-1004A型 7球3バンドスーパー(1946-47年) 東京芝浦電気(株)

  
     初期型 (所蔵No.11662)

   
    試作品と思われる写真(東芝85年史より)

 
   後期型 ダイヤルの額縁、キャビネット端部の仕上げが簡略化されている。 (所蔵No.11020)

TUBES: 6D6-Ut-6L7G-6C6-6D6-75A(6ZDH3)-42-80, Electro-dynamic Speaker

東芝が戦後初めて製造したラジオの一つ。IFは戦後の標準となる463kcを採用している。デザインは1940年代前半、RCAなどに良く見られたもので、この時代のスーパー受信機に良く見られる。物資が欠乏した時代のため、仕上げは悪いが頑丈に作られている。

東芝の社史には試作と思われるセットの写真が紹介されている。若干背が高く、スピーカーグリルがシンプルで、電源スイッチと思われるツマミが独立している点が量産型と異なる。量産型では2種類のデザインが確認されている。シャーシに変更はない。初期のものはダイヤル周りが直線的なデザインだが、途中で丸みを帯びた形に改められた。このタイプは塗装の仕上がりも他のタイプより劣っている。なお、初期型、後期型という名称は便宜的につけたものである。軍需産業から転進した会社のこの時代の受信機は1946年の初期型に対して、時代が下るにつれて品質が下がるものが多く、本機もその例に漏れない。激しい悪性インフレと手持資材の枯渇によるものと思われる。

鉛筆書きの製造番号、ガリ版刷りの真空管配置図などに時代の雰囲気が出ている。本機は進駐軍住宅向けに作られたという説もある。

後期型のセットは6ZDH3Aに改造されている。

参考文献:全波受信機工学講義録 日本電波協会 1948.4.1
       東京芝浦電気株式会社八十五年史 1963年

(所蔵番号11580)

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東芝ZS-1004C型 7球3バンドスーパー(1947-48年) 東京芝浦電気(株)

  

   
  裏蓋の銘板(左、中)と、キャビネット底に捺印された河合楽器の日付印

 TUBES: 6D6-Ut-6L7G-6C6-6D6-75A(6ZDH3)-42-80, Electro-dynamic Speaker

東芝が戦後初めて製造したラジオの一つの改良型。IFは戦後の標準となる463kcを採用している。デザインは1940年代前半、RCAなどに良く見られたもので、この時代のスーパー受信機に良く見られる。物資が欠乏した時代のため、仕上げは悪いが頑丈に作られている。初期のA型の直線的なダイヤル周りが、丸みを帯びた形に改められた。キャビネット角部の仕上げも変更されている。シャーシは共通である。

本機のツマミはオリジナルではない。

参考文献:全波受信機工学講義録 日本電波協会 1948.4.1
       東京芝浦電気株式会社八十五年史 1963年

(所蔵番号11862)

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NEC RA-100B型 2バンド6球スーパー受信機 1947年 日本電気(株)

  
   初期型 (No.2603)

  
   後期型 (No.4481)

  裏蓋の銘板

TUBES: Ut-6L7G 76 6D6 6B7 42 80, Electro-dynamic Speaker

 NECの実質的な戦後1号機。当時の全波受信機としては標準的な回路である。この受信機の前身としてRA-100A型が「無線と実験」誌1946年2-4月号に発表されている。RA-100A型は6A7-6F7-6B7-43-25Z5-B300B(バラスト)という、戦前にアメリカで作られたタイプのトランスレス受信機となっている。電源事情や真空管の入手を考えるとこの回路で量産したとは考えられず、このRA-100B型が量産1号機として良いと思われる。

元の受信機がトランスレスであったためか、全波受信機にしては小型にまとめられている。初期型のシャーシには、元のRA-100Aに作られた穴が残っている。RA-100A型は、量産試作程度までいったと考えられるが、本格的な量産には至らず、製作済みのシャーシをB型に転用したものと思われる。

B型は1947年半ばにデザインが変更された。シャーシは基本的に変わらないが細部の構造が変更され、RA-100Aの名残の穴は整理されている。軍用品の名残のようなアルミ製のねじ込み型シールドケースは、後期型の途中で角型の板金製のものに変更された。この角型のシールドケースはNEC製ラジオの特徴である。

掲載誌:無線と実験 1946.3/4

初期型のシャーシは、6L7Gが6WC5に改造されている。

(所蔵No.11569、11367、11910)

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ビクター5AW-1型「黎明」 5バンド5球スーパー 1946年 日本ビクター(株)

  

  

TUBES: 6A7-6D6-75-42-80, Electro-dynamic Speaker

 ビクターが戦後すぐに発表したオールウェーブ受信機の1号機。夜明けを意味する「黎明」と名付けたところメーカーの意気込みが伺える。6A7-6D6-75-42-80というごく普通の構成であるが、この時代には逆に珍しい。6A7は短波帯での安定性が低く、全波受信機で使用してる例は少ない。東芝系列であったために良質な真空管が得られたのだろうか。同調を容易にするために4-22Mcの短波帯を4つに細かく分割し、バンドスプレッドの効果を得ているのが特徴である。

本機は雑誌などに多くの資料が残されている割に外観写真がまったくないという「幻の」セットである。

(所蔵No.11201/11624)

掲載誌:無線と実験 1946.3/4、電波科学復刊2号 1947.1
参考文献:全波受信機工学講義録 日本電波協会 1948年

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製作者不明 2バンド5球スーパー (1947年頃)

  

TUBES: 6A7-6D6-77-42-80, Electro-dynamic Speaker (Ashida-Vox)

 終戦直後にアマチュアか、ラジオ商が手作りしたと思われる2バンド5球スーパー。Ut-6A7 - UZ-6D6 - UZ-77 - UZ-42 - KX-80 という変則的な構成で芦田音響のフィールド型ダイナミックを駆動する。シャーシは戦後軍用資材の放出で大量に流通したアルミ板で丈夫に作られている。真空管を含め、日本軍の放出部品が多く使われている。同調ツマミを中央上部に置いて他のツマミを下側に左右対称とするデザインは戦前からあるやり方である。配線や部品配置に戦前の技術の名残が見られ、かなり経験のある技術者が組み立てたと思われる。スピーカのネットに、テーブルクロスかカーテン生地のような布が使われているあたりが時代を感じさせる。

(所蔵No.11292)

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PHILIPS 31?7X型 3バンド6球スーパー 1948年 メーカー不明

  

  

TUBES: 6SK7-12K8- ? - ? -6V6-5W4-GT - 1629, Electro-dynamic Speaker (6.5")

 シャーシに「PHILIPS」の捺印があり、オランダ、フィリップス社のものと良く似たマークがある大型の全波受信機。アメリカ製のメタル/GT管が使われ、6SK7-12K8- ? - ? -6V6-5W4-GT - 1629の構成で、6.5インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。コンデンサなどにもアメリカ製の通信用の部品が多用されている。主要なネジにペイントロックが施されるなど、堅牢に作られている。アメリカ製の部品が多用されているが、全体の作りから日本製と思われる。部品は米軍から放出されたものと思われる。現在のフィリップス・エレクトロニクス・ジャパン(旧日本フィリップス)の創業は1953年である。このセットが、戦前のフィリップス日本ラジオ(株)と関係のあるものなのかは不明である。

本機は真空管が2本失われている。

(所蔵No.11507)

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TRC全波受信機 2バンド6球スーパー 1948年頃 メーカー不明

  

TUBES: 6WC5 6D6 6D6 6D6 42 80, 6.5" Elecro-dynamic Speaker

 無名メーカ製の全波受信機。ダイヤルはJRC R-102型のコピーである。ツマミの形状も良く似ている。軍用無線機用の部品が多用されている。また、シャーシはアルミのアングルを組み合わせて天板を載せて組み立てたもので手作り感が強い。組立を見ても粗雑な配線や構造が目立つ。キャビネットの仕上げは良いが、かなり複雑な構造になっている。これは、構造が複雑になっても小さな板を組み合わせることで資材不足に対応したものと考えられる。

本機は、コイルがスター製に交換され、中波受信機になっている。このため左にあったと思われるセレクタースイッチは失われている。また、真空管やCR類は多くが1950年代に交換されている。

(所蔵No.11915)

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中波スーパー型受信機


ダイヤトーン 47-D型 (初期型) 5球スーパー 1947年 三菱電機(株)

  

  
  取扱説明書表紙

TUBES: 6A7-6D6-6B7/6Z-DH3-42-80 (No.29), 6.5" Electro-dynamic Speaker(diatone)

三菱電機は戦後、自社で開発したダイヤトーンスピーカを売り物にラジオ業界に進出した。この47-D型はスーパー受信機の最初のモデルで、"47"は1947年を示す。このセットが開発されていたとき、性能の良いパーマネント型として評判をとるP-62Fはまだなく、最初のフィールド型ダイナミックD-60が使われている。発売当時のものと思われる説明書には「ダイアトーン」とあるが、現物や広告などはすべて「ダイヤトーン」である。この時代のラジオの例に漏れず、細部は改良され続けている。当初6B7を使用していた検波部はすぐに6Z-DH3に変更された。細部を変更しながら1948年6月7日には逓信省型式試験に合格し、1949年初めまで生産された。逓信省型式試験合格の後期型はこちら

本機は真空管とツマミが失われていたため、当館で取り付けた。また、スピーカが失われている。コイル、IFTがセレクトの製品に交換、大幅に改造されている。

(所蔵No.11A024)

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ノーブルラヂオ203型(NR-203) 1946-47年 帝国通信工業(株)

  

  

TUBES: 6A7-6C6-6F7-42-12F, Electro-dynamic Speaker (Permanent Dymamic Speaker, NOBLE Model FD-65, 6.5")

 1944年に東芝、日電、JRCなどの出資により設立された通信機部品メーカ、帝国通信工業が戦後、生産したスーパー受信機。6A7-6C6-6F7-42-12Fという、戦後豊富にあった真空管だけで構成された特異な配列で、自社製FD-65型フィールド型ダイナミックを駆動する。軍用の1号C型マイカコンデンサが多用され、真空管ソケットは自社製のモールド型である。IFTは軍用品を思わせる鉄ケース入りの独特なもので、コイルは分厚いボビンに巻いたソレノイドコイルの内側にハネカム巻のコイルを納める変わった設計のものを使用している。パッディングコンデンサには通信用のミゼットバリコンが使われている。シャーシは、軍用資材として豊富に残っていたアルミが使われている。軍需産業であった同社が手持ちの資材で組み立てたことが良くわかる。シャーシは小型軽量に作られ、キャビネットも薄い板で作られているため、大型のセットの割には軽く仕上がっている。203型は1947年末には6ZDH3を使用した普通の回路構成のNR-204型にモデルチェンジした。204型は、スーパー受信機で戦後唯一放送協会認定を取得したセットである。

本機は、ツマミが1個失われている。また、キャビネットの保存状態が悪い。

(所蔵No.11674)

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TEN DR-105型 5球スーパー 1946年 (株)川西機械製作所

  

 

TUBES: 6A7-6D6-6F7-42-80, Electro-dynamic Speaker

 軍需産業から参入した川西機械製作所の5球スーパー。キャビネットには大理石風の特殊な塗装を施している。スピーカがシャーシ側に取り付けられたアメリカ風のデザインである。真空管は6A7-6D6-6F7-42-80 、第2検波に当時軍用品が大量に放出されたUt-6F7を使用している。このほかにも軍用無線機の流用と思われる部品を数多く使用している。本機は1948年にDR-1S5型にモデルチェンジした。

同社は1949年に財閥解体により解散し、神戸工業(株)が設立された。1968年に富士通(株)と合併し、現在は富士通テン(株)としてカーオーディオを生産している。

本機は6F7が6ZDH3Aに改造されている。

(所蔵No.11442)

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テレビアン(Televian) R-50型 5球スーパー 1947年頃 山中電機(株)

  

 

TUBES: Ut-6A7 - UZ-6D6 - UZ-75 - 6ZP1 - KX-12F (6WC5-6D6-6ZDH3A-6ZP1-80HKに改造)

戦前からの大手メーカ、山中電機の中波スーパー。6ZP1-12Fで6.5"フィールド型ダイナミックを駆動する。6WC5、6ZDH3という戦後のスーパー用真空管がまだできていない時代のセットのため、6A7、75を採用している。

(所蔵No.11819)

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ナナオラ NH-5062型4球スーパー 1947年 七欧無線電気(株)

 

TUBES: 6A7 - 6D6 - 6B7 - 6Z-P1 - Se rectifier,

電源回路に単巻トランスとセレン整流器による倍電圧整流器を採用している点が特徴的な普及型スーパー受信機。真空管は6A7 - 6D6 - 6B7 - 6Z-P1で、ヒーターは直列に接続され、セミトランスレスとなっている。

当時は真空管の不足からセレン整流器が広く使われたが、材料の質が悪く、真空管より寿命は短かったといわれる。本機もセレン整流器と単巻トランスは取り外され、通常のトランスと12Fを使用した電源回路に改造されている。

(所蔵No.11588)

掲載誌:電波科学1947.7(表紙に回路図)

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ナナオラ(Nanaola) 国民型スーパー 1948年 七欧無線電気(株)

  

 

 TUBES: 6A7 - 6D6 - 6Z-DH3 - 42 - 80 フィールド型ダイナミック

戦前からの大手メーカ、ナナオラの普及型スーパー。同社製品の特徴である側面調整型のIFTを採用している。「国民型スーパー」の名称は、1947年にスーパー受信機の普及を目指して普及型スーパーの規格が定められたことから1948年頃に各社から発売されたセットに見られるものである。縦型ダイヤルのデザインは個性的だが、上側の角を丸めたキャビネットの構造の基本は戦時中の受信機に見られるものである。また、スピーカのスリットは丸鋸の刃を入れただけのもので、コストダウンしようとしたことが良くわかる。

(所蔵No.11871)

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JRC R-101型5球スーパー 1946年 日本無線(株)

  
  R-101型には2種類のキャビネットが確認されている

   



 
TUBES: N-051 - N-051(12GR4) - N-051 - N-052(12GP7) - N-021(12GK10), Electro-dynamic Speaker

 JRCが戦後まもなく発表したスーパー3種類のうち、ローエンドの中波専用機。1946年初めに試作が完成し、5月に発売された。木製キャビネットに塗装を施してベークライト風にした小型受信機。キャビネットは上記の2種類が確認されている。無線と実験誌1946年3/4月合併号には、上記左のセットが、日本無線の社史には右のセットが紹介されている。2種類に前後関係があるのか、同時に存在したバリエーションなのかは不明である。

このセットには、戦前から関係のあった独テレフンケン製の真空管を参考にして戦時中に生産されたキャトキン管(FM-2A05Aが有名)を戦後拡充して1946年に「Nシリーズ」として発売した真空管が使われている。ヨーロッパ風のバルブ形状にUSベースを組み合わせた独特のものである。このシリーズは後に標準型名12Gに改められた。ヒーターは12.6VでベースはUSだが、アメリカのGT管とピン配置に互換性がない。このシリーズは戦後国産GT管の標準が決まるまでの一時期市場に流れたが、アメリカ系の真空管が進駐軍の放出を通じて流れたこともあり、すぐに使われなくなった。

JRC自身、1948年にトランスレス用GT管を試作しているが、当初Nシリーズともアメリカ製とも異なるピン配置のものが発表されたが、すぐにアメリカ製と同じピン配置でスペックが微妙に異なるものが発表されるなど、混乱が見られる。Nシリーズも、中途半端なGT管も普及することはなく、JRCは1948年には通常のST管を使用したセット(NR-5A型)を発表している。

Nシリーズを使ったセットは、真空管の入手の関係で改造されてるものが多いが、この2台のセットは完全にオリジナルが保たれている。塗色はこのこげ茶色、ブルーグレーの他に黒色を確認しているが、他に明るい色のものもあったようである。

(所蔵No.11583,11138,11911)

参考文献:無線と実験 1946.3/4、日本無線55年の歩み(1971)

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MEC MODEL 1001 5球スーパー 1948年頃 美国電機(株)

  

TUBES: 6WC5-6D6-6ZDH3A-6ZP1-12F, Permanent Dynamic Speaker (日本精密電機, 4")

無名メーカの小型5球スーパー。当時流行した1940年頃のアメリカ製ラジオ風デザインである。このようなデザインはラジオを高い位置に置いた日本の一般家庭では使いにくく、この一時期だけの流行に終わった。

(所蔵No.11213)

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フタバFKS型 スーパー級国民型受信機 1948年6月 双葉電機(株) 6197.66円

  

  

TUBES: 6A7-6D6-6ZDH3-6ZP1-12F, Permanent Dynamic Speaker (TEN Rola Model KP-602, 6.5")

 大阪の中堅メーカ、双葉電機の普及型5球スーパー。6A7-6D6-6ZDH3-6ZP1-12Fの構成で、川西機械製TEN Rola KP-602型パーマネント・ダイナミック(6.5インチ)を駆動する。コストダウンのためオートトランスが採用されている。このためシャーシが充電部となるので裏蓋がねじ止めされ、感電注意のラベルが貼られている。当時、スーパー受信機の普及が求められ、メーカ各社が低価格のスーパー受信機を開発していた。1947年9月16日、スーパー受信機の普及を目指して日本通信機械工業会(CEMA)では、国民型受信機規格の上位規格として、超ヘテロダイン級国民型受信機規格を決定し、発表した。この規格に併せて普及型スーパーとして早い時機に市場に出たこの機種は、スーパー級国民型受信機を名乗った当時のスーパーはコンバータ管6A7の不良に苦労させられていた。このセットが開発された頃、すでに6WC5となる新型コンバータ管が開発されていることは知られていた。電波日本の記事によれば、当初6A7を採用したが、6WC5に切り替えられるように考慮されていたという。1948年後半にはコンバータを6WC5に変更したFKS-2型(公称型番はFKSのまま)が発売された。このFKS-2型が逓信省型式試験第26号を取得した。

外観やシャーシのデザインに大きな変更はない。なお、IFTは本機のように角型のものと、円筒形のものの2種類が採用された。

掲載誌:電波日本Vol.45 No.3 、電波科学1948.7(FKS-2型)

(所蔵No.11766)

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ビクター(Victor) 5RS-1型 5球スーパー 1947年 日本ビクター(株)

  

 TUBES: 6A7 - 6D6 - 75 - 42 - 80 自社製6.5"フィールド型ダイナミック

ビクターの中波スーパーの戦後1号機となる機種。戦後すぐの製品のため、検波管が75となっている。配置図に6Z-DH3の名称が75の横にペンで追記されているが、メーカで行われたものか、後から書き込まれたものかは不明である。製造番号は876である。初期の製品であるとともに、絶対数も少なかったのであろう。ビクターは戦前からスーパーを製造していたが、戦前期の深いシャーシや小型の特殊なIFTといった特徴は無く、RCAの設計を取り入れたと思われる近代的な設計に変わっていることがわかる。

掲載誌:ラジオ技術1947年4月創刊号(表紙広告)

(所蔵No.11873)

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参考文献

(1)電気工学年報 昭和21年度版 1948.8 (社)電気学会
(2)電波科学              1948.1 日本放送出版協会
(3)電波科学              1948.6 日本放送出版協会
(4)全波受信機工学講義録     1948.4 (社)日本電波協会
(5)沖電気100年のあゆみ      1981  沖電気工業(株)

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