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昭和6年度東京中央放送局(JOAK)懸賞当選受信機
1928-31


CONTENTS


はじめに

第3回当選受信機

 コンドル12号 坂本製作所/田辺商店 1931年 35.00円

 当選受信機風のセット ラッキー 4球再生式 Taiyo Battery Works. 1931年頃

松下のラジオ参入と一等当選

1号機の失敗とその後の松下のラジオ事業
松下の1号機の型番

「当選号」という言葉

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はじめに

ラジオが本格的に普及した1930年頃、放送局としては普及のために安価で性能の良いラジオを求めていた。東京中央放送局(JOAK 、現在のNHK東京)は、低コストで高性能な受信機の普及を目指して1928年から懸賞募集(コンテスト)を実施した。1回目と2回目は電池式とエリミネータ(交流)式の両方が対象で、回路方式も特に限定されていなかったが、選ばれたのは交流3球式だった。3回目となる1931(昭和6)年度は、対象が整流管を除いた2球式(3球)式のエリミネータ(交流式)受信機に限られた。「懸賞当選」という言葉の響きから、プレゼントの景品のように思われている向きも多いが、実際にはコンテストの一位ということである。

1931年6月に募集が締め切られた3回目の家庭用3球エリミネータ受信機の懸賞募集では、昨年に引き続き坂本製作所(コンドル)が1等当選したほか、松下電器製作所という、後の日本のラジオ史に大きな足跡を残すメーカの最初の製品が1等に当選したことで知られる。

放送局は、簡単な回路の受信機で受信できるように送信電力を増強し、放送局を増設したが、実際には、当選受信機のような3球受信機で受信できるサービスエリアは、日本の地形では広がらなかった。この懸賞の後、数年間は3極管検波、1段増幅の3球受信機が多く生産されるが、部品のコストダウンもあって低周波2段の、いわゆる並四受信機が主流となっていくのである。


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第3回当選受信機


コンドル12号 3球再生式受信機 (東京放送局懸賞一等当選受信機) 1931年 坂本製作所/田辺商店 35.00円

   

TUBES: UY-227 UX-112A KX-112B, Regenerative, Magnetic Speaker

1931年(昭和6年)、東京中央放送局(JOAK)が開催した、家庭用3球式エリミネーター受信機の懸賞募集の一等に当選した受信機は4種類だが、この中で松下電器の製品が、非常に有名である。しかし、このコンドル12号も、同じ一等当選受信機である。当時第二放送の放送開始に伴い、この懸賞では別部門で二重放送対応受信機として、第1、第2の切り替え機能を持った受信機も募集されたが、この12号は一般用である。同時に当選した二重放送対応機が第1、第2の切り替えに使っていた接点をピックアップとラジオの切り替えに使用している。回路はごく平凡な227-112A-112Bの3球式だが、小型のキャビネットにうまくまとめられている。坂本製作所は現在日本通信工業として存続している。

本機はかなり良い保存状態であるが、残念ながら回路が57S-6ZP1-12Fに改造されている。

掲載誌:無線と実験 1931.12
(所蔵No.11557)

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当選受信機風のセット ラッキー 4球再生式 Taiyo Battery Works. 1931年頃

  

TUBES: 227-226-112A-112B (227-26B-12A-12F)

当選受信機が話題になったために似たような小型のセットを作るメーカが現れた。これはその一つで大阪の中小メーカが発売したもの。キャビネットの幅はコンドル12号と全く同じである。ただ、当選受信機が3球式であるのに対して、こちらは4球式のため奥行きが数センチ大きい。このスタイルのセットは、懸賞当選が話題になった一時期だけの流行であった。このセットの裏蓋は、良くある上に持ち上げて外すのではなく、後ろから見て右にスライドさせて引き抜くというものである。

(所蔵No.11A134)

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松下のラジオ参入と一等当選

1931年(昭和6年)、東京中央放送局(JOAK)が開催した、家庭用3球式エリミネーター受信機の懸賞募集の一等に当選した受信機はコンドル12号他4種類だが、この中で松下電器の製品のほうが非常に有名である。懸賞に出品された松下のセットはスピーカ一体型のミゼット型だったが、市販に際してはスピーカを分けた形で発売された。

松下は1930(昭和5)年に二葉商会電気工作所の北尾鹿治と共同で国道電機を創立してラジオ事業に参入したが、あくまでも無故障の誰でも扱えるラジオを目指した松下と当時のラジオ業界の標準的な品質を販売業者の技術でカバーする一般的なやり方を主張した北尾との方針の違いから同年3月に提携を解消し、松下はラジオの独自開発に取り組むことになった。開発の目標として松下は東京中央放送局エリミネータ―受信機懸賞募集に応募することを掲げて3か月の努力で試作品を完成させ、6月に試作品を懸賞に応募した。懸賞に出品された松下のセットはスピーカ一体型のミゼット型だった。半年かけて製品化に取り組んだが、懸賞出品時のミゼット型ではなく、オーソドックスなスピーカを分けた形で発売された。1号機は1931年末から1932年1月頃に市販を開始した。11月には一等当選が発表されたため、松下は「一等当選」を打ち出して宣伝した。製品化された松下の最初のラジオは、3球から5球まで4種類が用意された。

懸賞にしたのと同じ回路のセットが3球式”清聴用”として市販されたが、227-226-112Bの固定再生式で音量、感度とも不十分なものであった。


ナショナル4球1号(1701)型(左)と3球2号(1602)型 1932年 松下電器製作所 (柴山 勉コレクション)


同じ3球式だが、容量再生として出力管を112Aとした3球式”容量再生式” (1602型)が用意された。上位機種として4球式”音量調節付” がある。227 226 112A 112B の、後に並四と呼ばれることになる再生式の回路である。この方式のラジオの場合はボリュームコントロールはなく、再生調整が音量調節を兼ねるものが多いが、松下は再生調整の他に音量調節を付けている。これは、松下が取り扱いのしやすさを求めたことに加えて、当時の大音量を求める風潮に反して、適度な音量と高音質を訴求したことによる。

上の写真はこの2機種を並べたものだが、デザインは共通するが、サイズが異なっていることが分かる。試作段階で最も小規模な3球式から開発したため、上位機種とサイズをそろえることができなかったのだろう。
最上位機種として次に紹介する5球式”音量調節付超遠距離用」があった。

ナショナル5球1号型超遠距離用(R-51型)  高一付5球再生式受信機 (1932年 松下電器製作所)

  

  
  シャーシの銘板と、東京電気の特許許諾証

TUBES: UY-224 UY-227 UX-226 UX-112A KX-112B, TRF, Magnetic Speaker

UY224-UY227-UX226-UX112A-X112B の5球で、マグネチック・スピーカを駆動する。5球式は最もサイズが大きい。結局、本体のサイズ、デザインの細部は4機種とも異なり、スピーカも大小2種類存在する。

本機のキャビネットは再塗装されている。また、電源スイッチと真空管、シールドケースが失われている。

(所蔵No.11750)


1号機の失敗とその後の松下のラジオ事業

松下のラジオセット1号機となるこのシリーズの製品は、故障が少なく、信頼性が高いラジオを目指して設計されたため、主要部品をすべてケースに収納する構造になっている。キャビネットも分厚い板で作られ、仕上げは漆塗りという手のかかったものであった。理想の高いセットは高価なものとなって(3球式で45円)商品としては失敗した。松下はこのシリーズ1本で1932年のラジオ業界に参入したが、すでに時代はミゼット型ラジオが主流となっていて、スピーカが分かれたスタイルのこの製品の古さは隠せなかった。松下はこのシリーズをミゼット型と共通のシャーシを使って小型化し、コストダウンを図りながら標準型ラジオとしてカタログに載せ続け、ペントードを採用し、抵抗結合とした改良型が追加された。これらの改良モデルは周波数特性を改善して音質を良くすることを目的としていたが、当時の聴取者の要望に合っていたとは言えなかった。当時のラジオは「良い音」ではなく「大声」が出ることが求められていたのである。

松下電器製作所のラジオ部門は1号機が売れなかったことで大きな赤字を抱え、1933年に経営危機を迎えることになったが、松下幸之助は最初のモデルが売れなくても値下げすることはなかったという(3)。この年に市場の要望に即した安価なマーツ・シャーシが発売されることで松下のラジオ事業が軌道に乗った。高品質の製品の原価に適正な利潤を乗せて販売するという原則を貫いたのであるが、このことはナショナルラジオのブランド価値を高めることになり、中級受信機R-48型や普及型受信機K-1型が発売されるときには、顧客に「割安な高級品」という印象を与えることに成功した。

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松下の1号機の型番

当初は他のラジオメーカ同様、機種数が少ないために公表された型番がないが、3球式にペントードを使った機種が追加されて3種類となり、清聴用を3球1号、容量再生式を3球2号、ペントード抵抗増幅型を3球3号と称した。4球式は4球1号、5球式は5球1号である(2)。実際には他の電気器具と共通の4ケタの数字による品番が付与され、3球2号は1602、4球1号は1701である。

1933年に入ってミゼット型ラジオも発売されるなど、機種数が増えたことでラジオを意味するR-**という型番を付与するようになった。”R"に続いて球数、開発順(また発売順)の数字を並べるルールのようである。3球2号型がR-32、同3号型がR-38、4球1号型がR-41、4球でペントードを採用したモデルにはR-47が付与された。番号が飛んでいるのは間に新型のミゼット型ラジオが入っているためである。このルールで行くと最初に発売された4機種のうちの1つ、3球1号型”清聴用”は、R-31となるはずである。しかし、この型番が付与されたころには商品価値のない”清聴用”はカタログから落とされていた。このため、R-31は欠番になっている。

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「当選号」という言葉

この松下の1号機は現在では通称「当選号」と呼ばれることが多い。この言葉はPHP出版などから多数出されている松下幸之助関連の書籍にも現れているので広く知られているが、発売当時の広告などには「一等当選」の文字はあるが、この1号機を「当選号」と称している資料は発見されていない。本当に「当選号」と呼ばれたモデルは別に存在する。1933年に発売されたR-36,R-37R-45,R-46型の一連のミゼット型ラジオである。これらの機種は、1932年6月に松下が開催したミゼット型ラジオキャビネットの意匠図案懸賞募集に当選したデザインを製品化したものである。これらの機種は広告などに「当選号」と記載されている。あまり知られていないこの機種に使われた「当選号」というわかりやすい名称が、後年になって1号機のほうの当選受信機と混同されて使われたのではないかと思われる。また、最初の3球式”清聴用”のことを”清聴号”と呼ぶこともあるが、このような言葉も発売当時には存在していなかった。レアなモデルに対して付けられた「コレクター用語」であろう。

最初に他社と合弁で発売した国道電機のラジオを「ナショナル受信機」と呼んだことから、この一等当選で知られる松下独自のラジオ1号機のシリーズは「新ナショナル受信機」として宣伝された。古い時代の松下幸之助の著書や社史にはこの言葉が使われている。あえて呼ぶとすれば、この1号機のシリーズは「新ナショナル受信機」と呼ぶべきであろう。

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参考文献

(1)ラヂオの日本 1931年12月号、1932年1月号、1932年5月号(広告) 日本ラヂオ協会
(2)松下電器月報 No.33 1933年8月 松下電器製作所
(3)私の生き方 考え方 松下幸之助 1986年 PHP文庫




















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